2014年 05月 07日
Milanoから⑧ ミラノと運河
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3日目の今日は〝Bike mi〟でミラノの運河探索である。
【江戸が水路の町だったように、ミラノにもかつてナヴィリオが網の目のごとく通っていた。ミラノ郊外の農民が街に出てくるのにも、船に乗って運河づたいに来たことが、オルミ監督の「木靴の樹」からうかがえる。若い婚約者が船の中で弁当を食べたりしながらミラノにやってくるシーンがある。】(「須賀敦子のミラノ」大竹昭子より抜粋)
ナヴィリオとは、「(航行可能の)運河」を指す言葉だ。
ミラノ特有の言葉の使われ方らしい。
運河、と言われれば、ヴェネツィア好きとしても、放ってはおけないではないか。
ヴェネツィアは迫る外敵に追われて逃げ込んだ先がラグーナ・ヴェネタ(潟)であり、
ぽつぽつと浮かぶ小さな島を徐々に橋で繋げていったので、
運河はつまりそこにあった汽水が元になっている。
一方ミラノは、ローマ時代、外敵から街を守るためにつくられた濠が始まりだという。
ミラノの地図だ。
この指先が指す黄色い環状道路、これがそのまま濠跡である。
この濠を拠点にティツィーノ川とアッダ川から引いた水で、
運河が網の目のようにつくられていった。
その最大の目的、それはドゥオーモ建設である。
(何につけても先人の偉業って想像を絶する)
一方で、ヴェネツィアの運河もそうであるように、
商業、交通、生活用水として庶民の生活にもなくてはならないものだったはずだ。
現在、その運河の名残を感じるためには、
今や瀟洒な観光地としても注目を浴びている、
その名も「ナヴィリオ地区」へ行くとよい。
ナヴィリオ・グランデとナヴィリオ・パヴェーゼが静かに流れている。
そう、カモの親子だって流れている。
そして、むかしむかし…といえば、
「おばあさんは川に洗濯に…」である。
ナヴィリオ・グランデ脇に残る公衆洗濯場だ。
一度〝Bike mi〟を返して、川沿いを歩く。
やっぱり水のある景色というのはいいなぁ。
橋の形も面白い。
スピリッツを飲みながら考える。
なーんで埋めちゃったんだろうねぇ、運河。
調べればやはり、時を経て交通が水路から陸、つまり車へと変遷していき、
衛生問題からも人の生活が川から離れていったのは、
何もミラノばかりではなかっただろう。
東京もしかり、関東大震災のがれき処理という大きな要因があったにせよ、
人々の暮らしが変わっていったのだ。
けれど、こちらミラノでは、この運河ナヴィリオをミラノ人の誇りとし、
復活させようという動きがあるようだ。
来年2015年、ミラノでは大きな万博が開催される。
街を歩いていてもあちらこちらで〝EXPO〟の文字。
只今その工事真っ最中。
ところで、私は濠の後を辿って環状道路を〝Bike mi〟で走ってみた。
城門の遺跡も見られるし、自転車だからこそ気軽にできること。
石畳ゆえ、振動でお尻はやや痛め。
by bacaro-ferro
| 2014-05-07 20:50
| Chiacchiera(おしゃべり)